さらば脚5焙烙、鉄砲隊完成
ページさんの焙烙に比べると霞むということで不当解雇されました
↓
脚バカの代わりは脚バカだけ
鉄壁1つも付けれんのかいっ
もう少し安くなってもろて
あー、
あーー、
よく見ると態勢まで似てる
あーーー、
あーーーー、
あー×100
そして現在の鉄砲隊
砲撃はお腹いっぱい@です
ただ狙撃がどうにもなぁ、連射力も体力も砲撃と同等は流石にねーべ
(脚1作戦膂連逃の壁を越えてもこの言われよう)
出やすい技種って理由だけでハードルが好き放題上がってって、気付いたら炎上技種より条件が厳しくなってる現象に名前付けたい
あ、あと皆様8月戦お疲れさまでした~、参加したかったですぅ…(小声)
作忍求めて…(完)
忍者隊完成!!
( ´_ゝ`)(`・∀・´)(-Ò。Ó-)( `д´)( ¯꒳¯ )( ̄∀ ̄)
全体的に低体力なのが気になりますが念願の守備忍が出たので満足しております
自操作影は、体力46のB連影から体力47の逃影に
・影走に連発はおまけくらいにしかならなそう、また連発が自操作でも発動するということがよく分かった(ただ合戦開幕くらいしか発動してなさそう?)
・逃足の評価が見切と並ぶまでに上がった
脚4虚報で空いた心の穴を埋めてくれました
君も1回だけ、1回だけ成長させてみないか?
このゲームは兵探しの時間がほとんどだってことに気付いてしまったので全自動探索スーパークルクルくんシステムを作ってひたすら雑賀を回してます
出た時に変な声が出まsた
ギャン最低条件
・脚2砲撃
技量55↑、膂力or連発、+@(鉄見、逃足、治療、奮起、鼓舞のうち1つ以上)
・脚1砲撃
守備、技量60↑、膂力or連発、逃足
・脚2狙撃
迎撃、技量90↑、膂力or連発、+@(鉄見、逃足、治療、奮起、鼓舞のうち1つ以上)
・脚1狙撃
守備、技量90↑、膂力or連発、逃足
考えれば考えるほど、膂連以外の鉄砲が許せなくなってきた
見習い忍者の集会場2 所持銭の減少
忍者退却は所持銭が減少するようです。
→ →
4月上旬 5月上旬 5月末
(復帰後) (忍ギャン前) (忍ギャン後)
ぜっぜん増えてないな
ネタにしか走らない奴
2代目戦闘狂
脚4A影まであと少しw
名前負け
念願の膂作……
守備が成長で付かない間に迎撃6回、待機4回、脚up6回、膂力4回、連発4回、鼓舞3回、乱数先輩頼んますよ~
フォルダが荒れ果てるので見習い忍記事はこれにて終了です
荒れてるのはエントロピーが増大したからなんでね、自分は悪くないっす。
異論は認める
ある日突然、父が母の名前を忘れた
事件が起きたのは土曜日の朝。
書斎から出てきた父は明らかに様子がおかしく、「頭が…」とつぶやいていたので「頭が痛いの?」と聞いてもあやふやな返答しか返ってこないまま10分が経過。
少し落ち着いてきたところで話を聞いてみるとどうやら記憶が一部ないらしいんです
そこで、最近起こった出来事や普段なら絶対答えられることを質問してみました「一番好きだったゲームの名前は?」「最近話題の騎士の名前は?」「家族の名前は?」などなど…
結果、人の顔や物のイメージなどはすぐに思い浮かぶのにそれが名詞と結びつきにくいという状態であることが分かりました
また、小学生で習う漢字も一部分からなくなっていた一方で前日に自分が父に出した火曜日に生まれた少女問題についての考察は普通にしていました
前頭葉の機能が低下してるのは間違いないと思うんですが、こんなにいきなり来るのは血栓が詰まったからなんだろうか…そうなると脳梗塞の危険もありそう…
今回は自己管理を徹底してる父だったので異変にすぐ気付けましたが、これが母やじいちゃんばあちゃんだとそうはいかない気がしますねぇ
戦国ギャンブル
博打の申し子カイジ!
ざわ…ざわざわ… ざわ…ざわ…ざわざわ…
カイジ「明日作戦を付けるんじゃない、今つけるんだ。今付けた者にだけ明日が来るんだ…!」
カイシ「カイジさんならきっと…!(´;ω;`)」
カイジ「たとえどんなに……不運…不幸…不ヅキに見舞われようと…オレは決して諦めない……!捩じ伏せる……..!最悪の運命….境遇….ありとあらゆる障害……不平…不正…すべてを捩じ伏せ……..オレは勝つ……..!」
が、駄目。 カイジ、壊滅的敗北。
カイジ「どうしてだよおおおおおおおおおおお」
ギャンブルで突進、逃足、迎撃、体力4upを果たしたモノホンのカイジ
至福、至福、圧倒的至福!!
初の50忍も
余談
カイジファイナルゲームを映画館でコロナ前に観てきました
1,2ほどではなかったですがやっぱ面白いですね~
また、アニメ版カイジでこんな話があります
「いつだって人は、その心は、孤立している。
心は誰にも理解されない、伝わらない。
だから誰もが理解と愛情を求めて、求め続けているが、結局近づけない。
孤独な一本道を行く世界の66億の民、66億の孤独。
手は届かない、遥か遠く離れている、できることは通信。
それはあまりにか細く、真の理解には程遠いかもしれない。
しかし、生きている者の息遣いは僅かに、だが、確かに伝わる。」
親戚だろうと親友だろうと結局自己とは全くの別物、なかなか考えさせられます